AXは何故失敗したのでしょう。
【1.互換性の無さ】
基本的には、各社のマシンで同じソフトが使えるはずでした。うまく
行けば、日本でも米国のようなPC/AT互換機による市場ができて
いたはずです。しかし、実際には各社が思い思いに拡張した非互換
部分が問題になり、どのマシンでも使えるというところまでいきません
でした。パソコンのオプションはどのメーカーのどのモデルでなら動作
確認したよ、というレベルで、カタログに載っていないモデルで本当に
使えるかどうか、といったリスキーな部分はユーザー任せとなってし
まいました。
かつてQuater-Lを安く手に入れて、ビデオカードを換装してDOS/V
マシンに仕立てようとしたことがありました。しかし、どうやってもビデ
オカードが認識されず(オンボードのビデオが切れなかった)、即、お
釈迦にしたこともありました。
【2.割高な製品】
「鶏と玉子」になってしまいますが、台数がはけない以上一台当たりの
価格は採算を考えるとどうしても高くなってしまいます。高い価格設定が
更に新規のユーザー獲得のチャンスを減らして台数伸び悩みが続く、と
いう悪循環でした。特に、パソコンのオプションは、各社のどのモデルで
なら確認できたよ、というベースだったため量販ができず高い価格設定
になりました。ダイナブックがヒットしたのは海外のソフトが使えるという
点以上に、その低価格が大きな要因でした。
【3.日本語化のコスト】
アスキーが請け負った日本語を表示できるようにEGAを拡張したチップは
膨大な開発費を要し、とても高価だったと聞いています。ある時期から
マシンの価格が下がったのは償却が終わったから、という見方もありまし
た。専用VRAMやキャラクター・ジェネレーターを搭載したJEGA(Japanease
Enhanced GraphicsAdapter)のボードのコストはどれぐらいだったのでしょう。
数も見こみほどはいかなっかったことは想像できます。何せ、あの西氏の
ことですから、きっとドカンと設備に資金を投入したのではないでしょうか。
【4.寄せ集め】
DOS/Vが登場してあっという間に窮地にたたされて、結局DOS/V普及の
ための組織、OADGに移行してしまう訳ですが高い金を出して開発した
JEGAを止めてVGAベースの同様のJVGAを作るかどうか決まらないうちに、
ソフトウェアで日本語を表示するDOS/Vが登場して、ハードウェアによる
日本語表示方式自体が時代遅れになってしまいました。いつまでもJEGA
にこだわり、既に米国では普及していたVGAにも対応できていない等、
意見を手早くまとめることができない寄せ集めの弱さが出ていました。
【5.烏合の衆】
数ばかりは集まりましたが、実力のある富士通&松下連合やIBMが参加
しておらず、東芝も独自仕様の方に力を入れていたため、弱小メーカーの
集まりといった感は拭えませんでした。協議会という仕組みのためなのか、
どんぐりの背比べのせいなのかは判りませんが、中心となって仕切る傑
出したメーカーがいなかったため、動きが鈍くなってしまいました。仕様でも
リファレンスマシンをきっちりと決めてチェックしておけば、もう少し別の流
れとなったかもしれません。OADGでは当初IBMのPS/55Z 5510Sあたりを
リファレンスとしてアナウンスしていました。これで動けばほぼ行ける、とい
う風に。やはりAXが反面教師になったのかもしれません。AXも最初に登
場した三洋電機のマシンがリファレンスのようでしたが、細部まできっちり
決まっていなくて、各社の独自拡張や思いこみが入ってしまったのかも
しれません。
【6.競争の無さ】
変に自社でカスタマイズ化して機能の枝葉末節を競うようなチマチマとした
日本的な差別化が行われました。米国なら、下手にいじって互換性が無い
製品であれば、あっという間に悪評が立ち、そのメーカーは立ち行かなくな
っていたところです。ところがAXは販路が一般コンシューマーというよりは、
パッケージと一緒にした代理店ルートの販売が多く、互換性の無さが有った
としても問題になりませんでした。このあたりは、現在のDOS/V市場とは対
極になります。
【7.狭い販路】
前述に関連しますが、惹かれるモデルがあったとしても、買うルートがありま
せんでした。今のようにインターネット直販が可能になっていたら様相も変
わっていたかもしれませんが、当時は秋葉原でもモデルを見ることはほとんど
ありませんでした。どこで売っているの、という感じです。私の会社でも在庫
処分でソニーのQuater-Lを買った事がありますが、多分T-ZONEのアウト
レットか、ソフマップあたりではなかったでしょうか。その割には雑誌の広告
の後表紙にシャープのAX286 All in Noteの広告が載っていたりして、いい
なぁ、とか思っていたものです。
【8.ユーザーの志向】
御気楽極楽の国民機、PC-9801に向けてソフトが集中すると、あえて
海外のソフトを使いたいというユーザーも、一部の熱心なマニアを除くと
いなかったかもしれません。日本語化に多少時間がかかったとしても
パイの大きさでメジャーどころはPC-9801向けに投入されましたから。
英語モードを必要としていたのは外資系の企業とかでしょうが、日米
と切りかえるより、例えば日本IBMがPS/55ではなくてPS/2を売ってい
たようなケースも考えると、日英切り替えへの需要はあまりなかった
のかもしれません。個人向け市場や中小企業向けはNEC、汎用機の
端末は富士通、日立、IBMで占められていましたから、ビジネス向け
にパッケージと一緒に売りこむ市場しかAXに残っていませんでした、
とも考えられます。売り場が無いのと相乗効果でジリ貧でした。
逆にDOS/Vは何故成功したのか、を見てみましょう。
【1.互換性の無さ】 →OADGでのリファレンスマシン(5510SやPS/55note)の設定
MS-DOS 5.0a/V騒動はあったものの、Win3.x発売を
優先してIBMに歩み寄ったMSによるMS-DOS/Vの提供。
【2.割高な製品】 →汎用性が重視され、コストダウンが進む
【3.日本語化のコスト】→特別なハードはOADGキーボード、それとDDDを用意するだけ
【4.寄せ集め】 →当初は参加していなかった富士通が合流、後に東芝も。
エプソンも鞍替えしてNEC包囲網が完成
【5.烏合の衆】 →OADGで音頭取り。実際は米の業界団体の動きが素早く
反映。VLバスとか。
【6.競争の無さ】 →海外メーカーのみならず、ショップブランドが勃興、
自作も流行って競争激化
【7.狭い販路】 →パーツ市場を含めて巨大な市場が活性化。DOS/Vマガジンが
広告で一時電話帳のような厚さに
【8.ユーザーの志向】 →Windows3.1時代になってテキストの速さより大画面での
グラフィック処理が要求されるようになった
参考書籍
PC WAVE 1998年7月号増刊「さらば愛しのDOS/V」
Never Forget AX PC へ
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