パソコンの歴史(AXパソコン)
  

不定期コラム Vol.618
2002/02/26作成


AXパソコンはPC9801と同じく、フォントROMのようなハードウェアを
使って日本語表示を行う仕組みを持つ、PC/AT互換機準拠のマシン
でした。1987年から1991年という286から386にかけての時代に登場
し、486マシンが登場しだした頃、その使命を終えました。

日英両モードが可能で、英語モードではEGA(Enhanced Graphics
Adapter : 640X350)、日本語モードで640X480の表示が可能でした。
英語モードでVGAでないのは、1984年に登場したIBM PC/ATがVGA
(Video GraphicsArray : 640X480)ではなくEGAだったためです。VGAは
1987年のIBMのPS/2と共に登場します。

http://yougo.ascii24.com/gh/00/000003.html
 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - IBM PC-AT
http://yougo.ascii24.com/gh/12/001272.html
 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - EGA
http://yougo.ascii24.com/gh/02/000224.html
 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - VGA

キーボードはUS101キーをベースにしたASCII配列でした。未だに
用途が判りませんが、AXキーなるものもありました。Win9xでは
Windowsキーに割り当てられているそうです。
画像は
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20011219/hot179.htm
 壊れたAXキーボードの後継を探す〜新旧の英語キーボードをテスト


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以下、ちょっとAXの歴史について触れようと思います。

【当時の状況】
p1
1987年、米国の半導体摩激化の結果、対日制裁発動が発動されます。
資料1 これによって16bitパソコンに100%報復関税が課せられ、日本
からのパソコン(PC/AT互換機)の対米輸出がストップしました。値段が
倍になる訳ですから当然です。日本のNEC以外のパソコンメーカーは
国内ではNECに市場を独占されていたため、唯一の市場の米国市場を
失って追い詰められました。

米国では1981年にオープン・アーキテクチャーでスタートしたIBMのパソ
コン事業が、コンパックやASTといった互換機メーカーの台頭で押しまく
られていました。苦境脱出のため、IBMは1987年にクローズド・アーキ
テクチャーのPS/2を登場させます。従来のISA拡張カードが使えない
MCA(マイクロ・チャネル・アーキテクチャー)規格のマシンはOS/2と
いった32bit OSの時代を睨んでもいました。転送速度や自動設定等の
良さはあったものの、ハードウェア的に従来のISAと互換性が無かった
ことや、IBMの価格競争力の無さ、市場がIBMに限られてしまうことに
よるサードパーティの不参入、それによる周辺機器の不足、価格の
高止まり、高い特許使用料を互換機メーカーに要求したIBMの強権的
態度と戦略ミスに互換機メーカーが反発しました。特に高機能のサー
バー用にはMCAに対抗する規格、EISAも策定されてしまいます。結果
的にMCAはあまり普及せず、IBMも一度製造を打ち切ったPC/AT互換機
(ISAバス)のモデルを1988年に下位モデルとして投入することになります。

IBMは自社のOS、PC DOS(IBM DOS)を使っていましたが、互換機各
社は基本的にはMS-DOS、もしくはそれをベースにしたものを使って
いましたから、IBM以外のPC/AT互換機が売れれば、それだけMSも
MS-DOSの代金で潤うことになります。

http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/980617/key34.htm
 鈴木直美の「PC Watch先週のキーワード」 PC DOS

http://yougo.ascii24.com/gh/01/000135.html
 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - ISA
http://yougo.ascii24.com/gh/01/000137.html
 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - MCA
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20010316/key157.htm
 鈴木直美の「PC Watch先週のキーワード」第157回:3月2日〜3月9日
  MCA,EISA


【国内は独占市場】
一方、国内市場は前述した通り、NECの覇権が成立していました。

NECの覇権の原因としては、過去の顧客資産との継続性を守った
ことが原因の一つとして挙げられます。新製品が出るたびにCPUや
OSが変更されて製品戦略が迷走した富士通の例は有名です。
PC-9801のROM-BASICは8bit機のPC-8801の上位互換となって
いました。

NECは8bit時代はシャープ、富士通と当初は3強を構成していましたが、
16bit時代には初代PC98の発表前の試作機をソフトハウスに貸し出す
などして豊富なアプリケーション資産を用意し、しかも、複数のCPUを延
々と搭載するなどして(80286とV30)過去のアプリケーションの動作保証
への気配りで他社を圧倒していました。PC98上で動くジャストシステムの
「一太郎」の爆発的ヒットというのも相乗効果がありました。

NECがソフトハウスの囲い込みに走った経緯に付いては
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/oniki/noframe/jpn/lecture/gu-under/semi/semi23/98-99/stdn1998/96e0103.html
 国産パソコンの歴史
  に、結局リリースされた対応ソフトの数により8ビット時代のNEC・富士通・シャープのパソコン戦争は
   NECの勝利に終わったが、NECにはライバル会社に対して、そのソフトの供給量というアドバンテージ
   しか持っていなかった。切り札がそれしかなかったのである。

といった見方が提示されています。
 *上記の卒論はPC9801の発売年とかAXの参加企業でちょっと難ありですが、よく書けています。

もう少し詳しくみてみましょう。
1982年に初代PC-9801が登場します。当時はマシン内蔵のN88-BASIC
を起動させるだけでアプリケーションが使えました。そういう意味で、PC
9801はMS-DOSマシンではなく、ROM-BASICマシンでした。今のような
OSのインストールといった手間が不用で、電源を投入すればすぐ使える
マシンでした。1985年頃、マシンでVM2あたりからマイクロソフトからMS-
DOSへの切り替えが要請されました。しかしOSの起動用のシステムファ
イルをアプリケーションにコピーする事が認められていたため、ユーザーは
ソフト付属の起動ディスクで起動し、もう一台のFDDからアプリケーション
を使う、といった感じで、OSのインストールと言った難しい作業を意識せ
ずに使うことができました。これが当たってPC9801のアプリケーションが
増えた、という話があります。後にこのバンドルはMSによって禁止され、
一騒動ありました。もっとも、その頃には徐々にHDDの使用も増えてきて
いました。

この辺の話は、今では入手が難しいPC WAVE 1998年7月号増刊「さらば
愛しのDOS/V」の滝川政一氏の「The Long Goodbye 島国の「標準」から
世界へ−"国民機PC-9801はどのように変貌したか"」で詳しく述べられて
います。

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独占が起きてしまうと、革新速度は鈍り、価格は高止まりします。486
ながら、過去の資産との互換性を気にするあまり、クロックが16MHz
だったPC9801FAのようなのが典型です。

独占が崩れると何が起きるのでしょう。時代が少し後になりますが、
1990年秋にDOS/Vが登場した後の日本のパソコン市場がその内容
をよく示しています。

IBMのPS/Vを始めとするPC/AT互換機陣営との熾烈な競争が始ま
ると、NECとDOS/V陣営とでスペックの急速な向上や価格低下が
始まりました。新規参入も相次ぎ、一台あたりの価格は下がったもの
の、台数はどんどん増えてパソコン市場は拡大していきました。
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【AXパソコンの誕生】
さて、米のようにPC/AT互換機を普及させて、結果的にパイの拡大を
狙ったと思われるマイクロソフト(MS)が音頭を取って、PC/ATベースの
日本語表示マシンを提唱しました。販売先を失って追いこまれていた
各社はこの企画に賛同し、87/10に「PC/ATをベースとした日本語パソ
コンの統一仕様」の普及を図るAX協議会が結成されました。MSに、
人の窮地を見かねて、なんていう点があったかどうかは判りません。

http://yougo.ascii24.com/gh/34/003451.html
 ASCII24 - アスキー デジタル用語辞典 - AX規格
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20000726/hot102.htm
 鈴木直美の「PC Watch先週のキーワード」第130回:7月24日〜7月28日
  AX(The Architecture eXtended) エーエックス

それまでは、各社がばらばらで製品を開発し、自社のハードの上で
しか動作しないアプリケーションを集めるのに四苦八苦していました。
ソフトハウスも手間がかかる割には本数が出ない個々のメーカーの
パソコンより、数が期待できるNEC向けを優先したことは容易に想像
できました。

AXの考え方は、毛利元就の「三本の矢」の故事にあるように、ばらばら
の勢力を統合して、市場を大きくすればソフトも増えるだろうし、アプリケ
ーションが揃えばユーザーも増えるだろうという相乗効果を前提にした
ものでした。もちろん行き場を失った製品のはけ口という意味もありましたが。

当初からの参加者はOSを供給したMS、日本語表示をハードウェアで
行うためのビデオカードを供給するアスキー、パソコンメーカーとしては
主導的な立場を取ったのが三洋電気で、シャープ、沖電気、三菱電機
等で、19社でスタートしました。最盛期には400(600?)社の参加があり
ましたが一向に打倒PC98は成りませんでした。

次回はその理由について考察します。

当時の非力なCPUでは、ハードウェアによる日本語表示の方が
有利だったという点の説明には下記のページが参考になると
思います。
http://www.tk.airnet.ne.jp/wingbird/lab/dosv.html
 DOS-V architecture
http://www.tk.airnet.ne.jp/wingbird/dosv/dosv.html
 DOS/V博物館


突然AXパソコンについて書いたのは、前回のスリムノートの系譜で
名前が出ていたシャープのAll in Note AX286Nについて調べるうちに
他のAXマシンも含めて、あまりにも情報が少ないので、とりあえず
調べた結果を挙げておこう、と思ったからです。

肝心のAll in Noteはかろうじて画像はありましたが、やはり古い話
なので、詳細なスペックはアヤフヤです。これも追って紹介します。

(注)
書籍としては
http://www.kobunsha.com/book/HTML/kbk_intel.html
 インテル・マイクロソフト ウインテル神話の嘘 小林紀興/齋藤忠夫監修
  カッパブックス ISBN4-334-00599-3  1997年 
    古本屋で\400で購入したものを参考にしました。
Webサイトは
http://www.tk.airnet.ne.jp/saiey/comp/mie-bbs.cgi?s=77
 AX - 補完ページ
http://pc.2ch.net/test/read.cgi/i4004/1008681979/l50
 悪夢だったAX


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資料 日米半導体摩擦について

日米半導体協定は1985/9に締結されたもので、日本勢の海
外でのダンピング防止、日本市場での海外製品のシェア向
上を唄ったものでした。日本市場における20%の「期待値」
を巡って日米で解釈の違いがあり、かなりスッタモンダし
た覚えがあります。

http://www.yomiuri.co.jp/minijiten/42960623.htm
 日米半導体協定(96年6月23日)
http://www.kaigisho.ne.jp/literacy/midic/data/k22/k2222.htm
 日米半導体協定
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9608/paper/0804/editorial.html
 時代遅れの日米半導体交渉
  もともと日米半導体協定は、米国市場に集中豪雨的に輸出された日本製半導体メモリーの
   ダンピング問題に端を発し、八六年に一時的措置として導入された経緯がある。協定期限は
   五年間とし、九一年に協定を九六年七月末まで延長した。その間、日本市場での外国製
   半導体のシェア二〇%を期待値とするなど、管理貿易の象徴といわれ、途中三億ドル相当
   の対日制裁が行われた。
http://www.yomiuri-you.com/you_c/e_life/hitec/000723c.html
 日米半導体摩擦 「輸出の集中豪雨」
http://www.yomiuri-you.com/you_c/e_life/hitec/000730c.html
 生産量 85年に米を抜く
http://www.yomiuri-you.com/you_c/e_life/hitec/000813c.html
 批判と制裁
http://www.yomiuri-you.com/you_c/e_life/hitec/000903c.html
 遺恨残す91年協定改定
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