ワープロ専用機 5550 Vol.2
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配属されて最初に触ったパソコンが日本IBMのマルチステーション
5550でした。既に何回か書いているように、このパソコンはパソ
コンと通信端末、ワープロ機能の「一台三役」の機能を持つマシンで
した。当時は値段も高かったこともあり、パソコンというよりオフィス
ワークステーションという区分で扱われていたこともあったようです。
「OA」(オフォス・オートメーション)という言葉もありました。今では
死語ですね。
フーテンの寅さんこと、渥美清さんをCMに起用していました。「友よ。
機は、熟した。」のキャッチコピーだったそうです。この頃に触ったのは
サイコロのようなデザインの本体のモデルでした。CPUは80286ではなく、
8086の5550,5560H/Jモデルでした。
マルチステーション5550はモデルでビデオの仕様が固定されており、
モノクロモデルをカラーモデルに、またその逆とかはできませんでした。
買ったのは主にカラーモデルでしたが、カラーが使われたいた記憶
はあまりありません。
サイコロ型の本体の裏側に拡張スロットがあり、フォントROMカード
や通信アダプターなどが刺さっていました。
IBMの発売は昭和58年ですので、私が配属される数年前に発売が
開始されています。現場にあったのは、第二世代頃のモデルのようです。
後に計算センターに言った時には初期モデルもゴロゴロしていました。
FDDを3台搭載したモデルとか。
外観はIBMのサイトに画像などがあります。
http://www-6.ibm.com/jp/event/museum/rekishi/ibm5550.html
マルチステーション5550
マルチステーション5550マルチステーションに関しては
http://www.ht-net21.ne.jp/~hit-o/Book2.html
僕が Prompt を理解できるまで
http://www.kisweb.ne.jp/personal/john/paso/paso.htm
パソコン図鑑 マルチステーション5550 Bモデル
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/2871/column/500/colm_515.htm
IBMデスクトップPC 昔語り(1)
といったサイトが参考になるかもしれません。
当時の部長がホストコンピュータからデータをダウンロードして
PC上でデータをソートして加工するプログラムを作っていました。
通信は3270エミュレーターをフロッピーで起動し、10MBぐらいの
内蔵HDDにダウンロードしていました。ホスト上ではAPLという高
級言語でホストデーターを加工していました。APLというのは
A Programming Languageの略で、特殊な記号を使うとっつきにく
い言語ですが、配列の扱いに優れているという評判でした。当時
のIBMが端末PCのユーザー側で自主的に開発ができるように推奨
したなんて聞いています。情報システム部に開発を依頼してプロ
グラムができあがってくるのを待つのでなく、対話しながらユー
ザーが色々開発できるのが狙いでした。もっとも汎用機ユーザー
ということでホスト上での使用は、規模的には大会社系列のユー
ザーに使用が限られてしまったかもしれません。
この頃から使われていたデーターベースは基本的に現在も稼動し
ていて、クライアントとして使えるマシンがPS/55のJDOSモードと
言う限定された仕様の特殊なOSの上でしか使えない、ということ
で次世代への模索が続いています。これはグラフィックスベース
の特殊なモードを必要としているためです。Windows版のエミュ
レーターも試してみたのですが、完璧な互換性という点では落第
点のようです。
余談ですが、昨日もPS/55 5521YのDA(NI-J)というビデオカードが
故障してピンクの画面になり、他の予備機からパーツを流用して
修理しました。1995年頃にシリーズが打ち切りになり、メーカー
も保守を終了していますが、現場ではまだ動いています。実質護
らないといけないのは2台だけなんですがそのために予備機が20台
ぐらいあります。一体いつまで使うのでしょうね。使っているユー
ザーに聞いたのですが、「これが基幹システムだ」と豪語されま
した。こりゃまだまだですね。
APLを使うためには通常のキーボードに更にオレンジ色の記号が
書きこまれた特殊なキーボードを必要としました。熟練者だと
指が配列を覚えているので、ブラインドタッチで普通のキーボー
ドでも使えていたようです。マルチステーション後継のPS/55では
124キーの5576-001キーボードのキートップを外して、APL記号を
印刷したシールを内側に貼った透明カバーに交換して使うことが
できました。124キーというのは「Enter」以外にも「実行」、PA1
〜PA4といったキーが追加されていました。実機を見て書いていな
いので、違っていれば後で修正します。
開発現場ではホストコンピュータ上でしか使っていませんでした。
高級言語だけにCPUの負担が大きいのが当時から問題でした。
私がいた部署ではダウンロードしたデータの加工をパソコンの
上で動くAPLでやっていました。PC APLと呼んでいました。APLは
後にIBMが教育用にmとフリーウェア化されています。
http://www.bitmapfamily.com/books/toppaapl.html
突破! APL [著者名] ビットマップ・ファミリー・シンジケート
といった本も1996年に出ていました。
今でもAPL協会というのが活動しているようです。
http://www.ae.keio.ac.jp/lab/soc/takeuchi/japla/
日本APL協会
当時のAPLのマニュアル本に六歌仙を使った説明が載っていたので
マニュアルが六歌仙と言われてました。まぁ私には難しすぎて、結局
メンテナンスしかできませんでした。大規模な変更があった時には
手におえず、定年でリタイアした部長にお出ましを願うような場面も
ありました。
パソコンでやっていたのは、株式の銘柄コード毎にソートして集計
するといったものでした。edlinやsortという命令をよく使っていました。
ラインエディターのEdlinに関しては、例えば
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~slcc/misc/electric-tips/edlin.html
えどりん入門
Sortでは
http://www.nifty.ne.jp/forum/fpcu/dosvcmd/sort.htm
SORT - データを行単位で並べ替える
とかでしょうか。
最初は与えられただけの5550。でも慣れるにしたがって、購入や
構成を考える立場になると、それなりに色々と創意工夫を入れる
チャンスがやってきます。その辺のドタバタは次回。
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