パソコン個人史(ワープロ専用機)

不定期コラム Vol.602
2002/02/17作成


 専用プリンター   マルチステーション5550
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日本で一世を風靡したワープロ専用機の歴史は終わろうと
しています。ワープロはやはり専用システムという閉じた
システムだったため、データのハンドリングやコストダウ
ンに問題がありました。パソコン通信の時代にはワープロ
通信も可能でしたが、専用オプションが必要だったりしま
した。末期にはパソコンが難しい層の取り込みを図ったよ
うですが、専用システムの弊害がインターネット時代の進
歩の早さに合わなかったようで、各社が撤退を発表してい
ます。何をやっても壊れないタフなシステムはそれなりに
評価します。仕様がもっとフィックスしてから、また別の
アプローチもあったかもしれません。もっともアプリケー
ションをROMに持つCEマシンもあまり普及していませんから
仕様を固定化することへの懸念は強いのかもしれませんね。

個人的にワープロは地方支店に配属されてから買いました。
シャープの書院だったと思います。顧客や見込み客へのDM
の宛名を印刷していました。営業の間は使っていましたが
転勤してからは使わず、結局そのままになってしまいました。

東京に転勤したきた子会社は、支店よりはるかにマシンが
ありました。当時のマシン室には初期のワープロ、トスワ
ードJW-8も複数台ありました。これは8"FDDを装備し、A4を
縦に表示できる縦型ディスプレイのモデルでした。トスワー
ドは東芝の出していた業務用ワープロのシリーズでした。

1978(昭和53)年に東芝が初の日本語ワープロ機「トスワー
ドJW-10」を630万円で発売してから10年は経っていました。
机一個分の大きさはピザボックスサイズにまで小型化されて
いました。

JW-8のような17"縦型ディスプレイのモデルはその後も当社
では延々と受け継がれていきました。最後の最後になって
Lotus1-2-3が搭載されたりもしましたが、基本的にはワープ
ロ専用で使われました。パソコンとのデータコンバート用に
入れたRupoの方が先にリースアップで消えてしまいました。

モデルの流れとしては、JW-8→JW-3080→JW-3280→JW-3580
といった感じです。文書の互換性やフロッピーのサイズ変更
で色々と代理店と二人三脚で取り組みました。

非常に高価だったのでさっさとパソコンに切り変えて欲しか
ったのですが、切り替えは難航しました。過去に作った文章
を少し直して使う、という用途が主だったため、過去の資産
の蓄積がモノを言って話がが通りませんでした。ワープロの
2HDをパソコンで読むと壊れてしまうといった事故も相次いで
起きました。

なんせワープロは本体とプリンターが各々100万円近くしまし
た。特にプリンターは専用システムの弊害か、メンテナンス
性が悪く、高い消耗品といった問題含みのシステムでした。
今考えれば高額(年20万円程度)の保守契約締結が前提のシス
テムでした。複数台のマシンでプリンターを切り替えて使う
のに光ケーブルと専用切り替え機を買ったり、とか何かと金
食い虫でした。

パーソナルワープロのRupoは、ワープロがいつも混んでいる
というクレームに対処して、数を揃えるために入れたモデル
です。これによって、文章をRupoで、印刷はトスワードで、
という分業も一部部署で成立し、それなりに効果はありまし
た。特に最後までパソコンを拒んでいたヘビィなワープロユ
ーザーには好評でした。その後、Rupoは定年でユーザーが徐
々に減っていたっため、最終的にはトスワードより早くリタ
イアしました。

ワープロでは数年経って富士通のオアシスが入っていまし
た。最初はOASYS-100Gといったモデルだったと思います。
グリーンかアンバーの縦長モノクロディスプレイモデルで
した。オアシスでしたが、キーボードは親指シフトではな
くJIS仕様でした。その点では少しマシでした。

モデルは100G→HXII→70SF,100HFとかだったと思います。
親会社から人事異動で来た人がオアシスを入れてくれ、と言ったり
で、ワープロの統合はいっこうに進みませんでした。トスワードと
オアシスの並存が数年続いたため、後にトスワードに統合するまで
かなり不経済でした。

オアシスに関しては、5"と3.5"FDDの互換の問題で高価なドライブ
装置を買わされたり、とか、廉価版として買った液晶モデル(70xx)の
ディスプレイが見辛いといった問題、富士通のLBPが故障が多く
メンテナンスが大変だったこととかであまり良い思い出はありません。
プリンターに関しては後年、キヤノンのLBPのOEMに切り替わったの
で少しはマシになりましたが。

ワープロの統合の順序としては、まずオアシスを隠し、無くても済む
ように社内を慣らしました。ついで、ワープロヘビィユーザーをRupoで
隔離し、トスワードの台数を削減しました。この頃になるとパソコンも
一人一台体制になっていましたので、ワードとエクセルへの移行も
何とかつきあってくれたようです。まぁそれでも退職するまでワープロ
一筋の方とかもいらっしゃいましたが。結果的にはかなりの長期戦
でした。

2000年頃になると、メーカーもあまり開発に力を入れてないようで、
ダラダラと現状維持が続きました。最終的にダメを押したのはやはり
インターネット接続によるWWWブラウザーとeメールです。これが無い
と仕事にならない状態になったので、自然とワープロオンリー派は
瓦解しました。

最大では十数台にもなったトスワードですが、現時点では2台ぐらい
のリース切れになったトスワードが細々と動いています。


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