その1 へ
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「IBMの科学者は光り輝きます、しかし、成功する製品に必ずしも必要では
ありません。それは常識と市場に通ずる才覚を必要とします。Jim Cannavino
がそれでした。」―― Kathy Vieth
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彼がポインティングスティックについて読んだ時、Cannavinoは彼が何かを見つけたと
考えました。彼はマウスを操作する十分な余裕がある場所をノートパソコンの平らな
場所にどのようにして設えるかについて長く関心を持ちました。Cannavinoは、IBM大和
事業所の開発チームによって使用される当座の解決策を嫌っていました。―― トラッ
クボール。彼は自分自身にSelkerとRutledgeの作業の成果であるプロトタイプのうち
の1つを取って来て、彼のデスクトップ・コンピュータにそれを差し込み、それをテス
トしました。その後、彼はSelkerに電話をかけて言いました、「Ted、これは凄い。私
たちはなぜそれを使っていないのだ?。」
「彼ら(*プロダクトマネージャー等)がさせないでしょう」とSelkerは言いました。
「何を考えている、Ted。」Cannavinoは返答しました。「私が「彼ら」だ。"
Selkerは電話によって興奮しました。「ジムには、彼のもとで働く約100,000人がいた」
とSelkerは言います。しかし、Cannavinoの支援さえ、ポインティングスティックが製
品になるだろうということを保証しませんでした。それでSelkerとRutledgeは自分たち
のポインティンングスティックの研究を科学雑誌で公表しました。
「その後、私たちは、あらゆる犠牲を払いながら(皆の屍を乗り越えて)プレス・リリー
スを行いました」とSelkerが言います。「BusinessWeek誌が取り上げて、それにより
社外に広まったため、IBMの役員が注意を払いました。」
その間に、Selkerのキャンペーンと平行して、Hardyは、新しいノート用のポイン
ティングスティックを擁護していました。また、彼のグループは会社の世界中の15の
デザインセンターを監督したので、彼らは日本IBMにコンセプトを押し込む立場にあ
りました。
「さらに、Bob Corrigan(この人はPCカンバニーのトップだった)にそれを見せました。
」とHardyは言います。「Bobは、それが素晴らしいと考えて、したがって、Richard
Sapperもそうでした。私たちは、実際、ポインティングスティックのコンパクトという
特徴を必要としました、しかし、さらに重要なことには、それの使用はブランドイメー
ジを構築し、高度に競争率の高い市場でIBMの製品を(他社の製品に対し)差別化
することができるでしょう。」
これらのすべての努力の結果、ポインティングスティックは日本でテストする事と
なりました。しかしノートパソコンのプロダクトマネージャー、Ikeda Toshiyuki
の承認という最後のハードルがあるのは明白でした。
「私はTrackPointの第1のプロトタイプを見ました。また、それがトラック
ボールと同等のものではなかった。」と、現在ではIBMのOEMシステム開発
の管理者であるIkedaは回想します。「私は真新しい考えには気乗り薄で
した。しかし、その時、テスターがトラックボールがアップルによって
使用されるとコメントしました。またトラックボールが私たちの競争者の
コンピューター(=アップル)をテスターに思い出させました。それで私は
異なる何かを持たなければならないことを知っていました。よって私は決
定しました。Ted Selkerは、2、3か月の間に最高の仕事を行いました。私
たちは、異なるタイプのパーツを求めて日本の日曜大工用品店を走り回り
ました。」
SelkerとRutledgeにとって、彼らの発明が製品へ載るために変わって
いくことは極めて満足が行くものでした。「それが私に教えたことは、
会社には、自己の科学者を「自分の発明のために」企業家にする刺激的
なプログラムがあるべきだ、ということです。」とSelkerは言います。
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