IBMデスクトップPC 昔語り(2)


All about ThinkPadの没原稿で、PS/55関係に触れたものです。
前に在籍していた会社ではまだ動いているんでしょうかねぇ
懐かしいFIBMJのMCフリークの面々、達者かい?

不定期コラム Vol.516  2002/01/03作成

○PS/55シリーズ
PS/55シリーズは、MCAという拡張バスを持ったマシンと位置づけることができます。
MCAは、従来のISAバスの欠点を解消する画期的な32bitバスとして登場しました。
MCAの性能については○ページのMCAノートパソコンの項で説明されていますので
ここでは省略しますが、サードパーティから発売されたPC/AT互換機の攻勢に苦しめ
られたIBMが、IBM PC/ATのときとはうってかわってMCAの規格を公開しなかったこと、
従来のISAバスとの互換性がなかったこと、比較的コストが高かったことなどが相まって
あまり普及しませんでした。

1987年5月にPS/55シリーズ初代の5570Sというモデルが登場しました。その後しばらく
従来規格のマルチステーション5550が名前だけPS/55と変更して並売されました。

MCA規格で主力マシンが入れ替わったのは1988年4月の5550S/Tモデルの投入から
です。以後、1994年4月の5521Yモデルという最後のモデル投入まで、PS/55はIBMの
主力機種の座を担いました。

なお、PS/55はFDDが3.5インチFDDで統一されていましたが、このことはのちにDOS/Vが
登場したときにアプリケーションソフトも含めてメディアが3.5インチしかないという現
象を生みました。DOS/V登場当時優勢だったNEC PC98のユーザーにも5.25"のサイズの
フロッピーが好みという人もいましたので、当時のアプリケーションでは2つのサイズが
同梱、あるいは、別々のパッケージとして売られていたりしました。メディアが3.5"のフロッ
ピーディスクに全面的に移行していくのには、DOS/V登場から2年ぐらいを要した気が
します。5.25"が使えない訳ではなくて、拡張バスにアダプターを刺し、馬鹿でかい外付け
FDD駆動装置を付ければ読み書き可能でした。結構な値段はしましたけど。


当初のPS/55シリーズは、i386以上の32bit CPUを搭載し、グラフィックの表示には
ディスプレイアダプタ(DA。ビデオカード上にフォントROMを持っており、拡張バスに装着)を
用い、マルチステーション5550と同じ24ドット表示の1024×788ドットの解像度でした。

このビデオカードは、PS/55用のOSであるJDOS特有の1024×768ドットという高解像度
表示が可能なだけではなく、バイリンガルOSであるJDOSの英語モードを使えばVGA表示
機能も使用可能でした。この機能によってJDOS用のアプリケーション以外にも英語版の
アプリケーションも使うことができました。この点は、BIOSなどに多少の差異があったとはいえ、
基本的には米IBMのPS/2と共通の設計思想で作られたことによる恩恵でした。

この機能は、のちにDOS/Vが登場しWindows時代に入っていくときに、企業内の大量の
PS/55がうち捨てられることなくJDOSとDOS/Vのブリッジマシンとして延命していくのに
効果がありました。

PS/55シリーズ用のディスプレイアダプタにはこのほかにもいくつかのバリエーションが
ありましたが、基本的にはインターレースでちらつきやすいタイプを長残光タイプの5574-Cxx
(xxは型番)という専用モニタを必要としました。一般のCRTではちらつきや周波数が未対
応5といった問題がありました。5574-CxxというCRTはPS/55本体の電源投入を感知して
リレーで電源が入る特殊な造りをしていたので、PS/55以外のマシンへの転用は難しかっ
たようです。

この後Windows3.xx時代になると、ビデオカードは、DA以外にもXGAやXGA-2といった
MCA拡張バス用のビデオカードが追加投入されました。純正以外のメーカー製のカード
はあまりありませんでした。主要用途がビジネス用のため、サウンドカードといった
ホビー系のカードも皆無に近く、MCA末期にようやく幾つか入手することができました。

Windows3.xではフォントROMをパスして直接画面に描画する仕組みを取っていました。
16ドット・フォントでしたから当然と言えばそうですね。ディスプレイ・アダプタ(DA)は
XGAと解像度は同じでしたが、規格的にはその前の8514/Aというものと同等だったようです。
あまり規格には詳しくないので、ボロが出ないうちに切り上げましょう。

1992年10月にMCAではない、普通のPC/AT互換機をベースとしたPS/Vシリーズが
発表されると、日本アイ・ビー・エムのラインナップは高機能のPS/55、業界標準の
PS/V、携帯型のThinkPad(PS/55noteから名前が1991年から1992年にかけて変更
されました)の3つで構成されるようになりました。

PS/VがNECや他のPC/AT互換機ベンダーとのスピードやコストパフォーマンスを
巡る競争を続けていく中、高機能、高価格を謳い文句にしてきたPS/55も一層の
低コスト化が求められるようになります。

価格の安いPS/Vを業務用端末で使われないようにするためか、当初は汎用機や
オフコン用の純正エミュレーターソフトもPS/Vには未対応でした。


1994年4月に、こうしてPS/55シリーズ用のディスプレイアダプタとして初めてノン
インタレース対応のPC/AT互換機用CRTが使えるようなったDA-J(NI)というタイプが
登場します。また、HDDも従来のESDIというあまり一般的でない規格(IDEの前に登場
したものです)/やSCSIといったちょっと業界標準でない規格のものから、PC/AT互換
機と同じE-IDE(Enhanced IDE)/が採用されたりして延命策がはかられました。

モデル末期にはXGA-2アダプターやCirrus Logic542xのビデオチップを積んだビデオ
カードを標準装備し、最初からをJDOSが使えない、つまり、DOS/Vでの使用を前提と
したモデルも用意されました。

IBMの時代への対応努力以外にも市販の安いパーツによってアップグレードさせる
ための情報交換はパソコン通信のNIFTYのFIBMJ MES( 4)を中心にはユーザーの
間で色々と交換されました。それでも変に色々な制限がありました。

例えば、PS/55 5550NといったSCSI標準搭載モデルではHDD全体が1060MBまで
ならブート用に使えますが、1080MBでは駄目とかありました。コナーの1060MBが
とてつもなく貴重だった事がありました。IBMのDPES-31080などは2台目としてしか
使えませんでした。

5521YといったIDEモデルでも2GBクラスを超えるHDDではあまりうまくいかなかった
記憶があります。今使っているのも850MBです。

モデル末期にはCirrusLogicのビデオチップを載せたReply社の製品とかを買い占
めた事があります。何せXGAアダプターは発色は評判が高かったのですが、アク
セラレーター機能を持っていませんでしたから。


しかし、1995年1月にIBMのデスクトップ製品はATアーキテクチャをベースにした
(新)IBM PC に統合されるという製品系列のリストラが行われました。これにより、
MCAアーキテクチャをひきずってきたPS/55シリーズとしての寿命は終わりました。

過渡的に投入されたIBM PC720とPC 750のMCAモデルも1996年6月頃には販売が
終了し、現在ではRS-6000というワークステーション系列も含めてMCAのラインナップ
はIBMには残っていません。長年のユーザーとしては、Plug and Playに対応したPCI/
ISA搭載の最近のPC/AT互換機と比べても、設定用ディスクが無いと大変でしたが、
それさえあればセットアップが楽なマシンだった、というのが記憶に残っています。
DOSの頃にはPlug&Playなんてありませんでしたから、なお更です。

MCA機のPlug&Play機能は擬似的なもので、一部のモデルでは内蔵のHDDと
IRQがぶつかって純正SCSIアダプターがWIN95でどうしても使えないといった問題が
あったりしました。DOSだと問題無く使えていたりしたのですが。古い規格のモデルを
新しいOSで使うという方が間違いと言われればそうですね。


下記のモデルがPS/55の系統になります。

Table PS/55の系統
機種 モデル
5521 5521 Y
5530 5530 T/V/W/L
5535 5535 S
5540 5540 T
5545 5545 T
5550 5550 S/T/V/W/Y/N/L/R
5560 5560 W/N
5570 5570 S/T/V
5580 5580 W/Y


PS/55以外のシリーズ

○5530Z(286)
PS/55は主に企業向けルートで販売されたため、日本アイ・ビー・エムの個人向け市場
での実績は皆無に近い状態でした。これは1984年のIBM JXの失敗のせいもあったの
ですが、PS/55の高価格というのも原因のひとつでした。個人向け市場への再参入に
備え、まず、日本アイ・ビー・エム社内で公募のような形で人材が集められました。

次に売れるマシンを研究するため、1988年春に5530Z(286)が投入されました。これは、
新学社という教育関係の会社に販路を限定したパイロットモデルでした。CPUは80286、
12インチCRT一体型で、外見は後続のPS/55Z 5530Z-SX(5530S)とそっくりでした。

MCAバスはありましたが、拡張性に制限がありました(たとえば、FDDモデルではHDDを
内蔵できませんでした)。しかし、これによって後の5530Z-SX(5530S)開発のための
データが集められることになりました。


○PS/55Zシリーズ
1989年11月に5530Z-SX(5530S)という12インチCRT一体型のマシンが投入されました。
当時、巨人の監督だった藤田元司氏がCMに起用されていたので、覚えている方もおられ
るかもしれません。CPUはi386SX 16MHz、RAM 2MBytes、MCAバスと1024×768表示可能
なディスプレイアダプタを搭載していました。当初の商品戦略は、24ドット表示の高解像度
表示とバイリンガルOSであるJDOS 4.0を前面に出したものでした。

話は少しそれますが、1983年のマルチステーション5550以来の日本アイ・ビー・エムの
高解像度表示(1024×768、24ドットフォント表示)にかける執念には凄まじいものが
ありました。おそらくこれは教育市場を意識してのことなのでしょうが、画数の多い漢字も
きれいに表示できることをアピールするために、当時世間で主流だった16ドットフォント
表示のマシンとの表示比較も行われました。

DOS/Vが発表される前に日本アイ・ビー・エムの社内には16ドットフォントのDOS/Vに
対する反発などがあったという話を筆者はのちに聞いたことがありますが、反対した人
からすれば、DOS/Vの登場は日本アイ・ビー・エムが永年追求してきた高解像度表示
からのグレードダウンと受け取られたのかもしれません。

PS/55Zシリーズは、1990年10月のDOS/V発表と、その後のWindows J3.0の登場を
契機に販売のセールスポイントを24ドットのきれいな表示からDOS/V+Windowsに
移しました。主力は、ISAバス搭載の5510Sと、MCAモデルでXGA(1024×768ドット)
表示が可能だった5530Uでした。

しかし、MCAマシンの5530Uは他のメーカーと比較して高価格だったため、競走上、
PC./AT互換機仕様で、画面一体型ではないモデルが追加されました。これがPS/55Z
5510Z/Sというモデルです。同じボディを利用してMCA規格の最上位機種5510Tが用意
されていたのがIBMらしいですね。5510SはOADGと言う当時のDOS/V普及用の業界
団体の標準原器的な地位にありました。

ともかく、ATバスの5510Z/Sも/コストパフォーマンスがよいとはいえず、当時圧倒的な
市場シェアを誇ったNECのPC-98シリーズの牙城を切り崩すまでには至りませんでした。
この挑戦は、1992年10月に始まるPS/Vシリーズへと引き継がれていきます。

なお、米IBMでも1990年にPS/1という個人向け低価格シリーズのマシンを投入しました
が、CPUが386SXだったこともあってそれほどヒットはしなかったようです。



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