2001/11/27頃にThinkPad Clubは初心者に敷居が高いのでは、
という議論がさろんを中心にありました。ここではちょっとそこらへん
を考えてみましょう。なお、あそこでの一部発言者と考え方が一致
する場合もあり得ます。念の為。たまたまね。
発言するという意味
インターネットというものが一般に広まる前にパソコン通信という
ものがありました。今で言えば会員制の掲示板ですね。私が主に
参加していたのはNIFTYのFIBM系会議室でした。FPCUGでA.H.O
といったハンドルでかなり発言もしていました。あの頃はTP220を
駆使してオフラインでコメントを書いて電話を繋いでアップロードする
毎日でした。当時のDOS/V勃興期で、NEC PC98に負けないよう
できるだけフォローしようと自分で言うのもなんですが、かなり気合
を入れてました。1993年前後です。で、結局FPCUGはほとんどROM
(読むだけ)状態にしてしまいました。理由はやはり「疲れ」ですね。
当時のNIFTYは初心者の駆け込み寺と化していて、様々な質問に
対して、いちいち調べてコメントをあまり間をおかずにレスをする、
しかし、その答えでうまく言ったかどうかの反応もなく、ただただ
質問が並んで待っている日々。あの当時もボランティアなんだから
もう少しレスポンスを返してよ、と書いた事を覚えています。
@niftyを止めたのはインターネット上のThinkPad Clubが当時の
@niftyのFIBMTPの機能を十分カバーできるという判断をしたのと
@niftyのレスポンスの悪さからでした。
ThinkPad Clubでの日々はそれなりに楽しかったけど、やはり質問
過多の傾向はありました。まぁあそこでも色々あって、結局去った
訳だけど、根本には「掲示板システムへの疲れ」がありました。
聞いて来る方はそのトラブルにもよりますが、大体が目の前の切羽
詰まった状況を自分だけにしか判らないマシン環境すら書かずに
聞いてきます。それに対してどう回答するか、というのは、聞いている
方は想像すらしてないのかもしれませんが、相当面倒なものでした。
「公」の場でコメントを書くというのはかなり神経を使う作業です。
例えばTP600とTP600E、TP600Xの違いを問う質問があったとします。
単純にスペックだけであれば、IBMの製品カタログを紹介するだけで
済みます。IBMのサイトを見りゃ判るよ、と書くのでなく、実際にその
アドレスを開いて、そのURLを貼りつけます。更に例えば画像を使って
3モデルを比較しているサイトが無いか、と、例えばThinkPad Loveに
飛びます。でもTP600しかないと見て、次はここの姉妹サイトの
旧TP画像館拾遺 を開いてみます。するとTP600/E/Xの画像 という
ページがあるので、それもコメントに貼りつけたります。
で、簡単に比較コメント、PCIとAGP、MMC1、MMC2といった項目に
さりげなく触れたりしておきます。もし質問をした方が興味を持って
調べるためのキーワードですね。ちょっと前の会議室の発言でどこまで
CPUを換装できるか、といった話題も出てましたし。
TP600系に2645以外のモデルが有ったかなぁ、と思って、米国のIBMの
サイトもチェックしますし。質問のプルダウンメニューの再現もつ追試して
みないといけません。
そこまでするのに時間がどれだけかかるか。常時接続環境であれば
費用は問題ではありません。まぁ人へのコメントを書くのは自分の頭の
整理にもなります、ちょっと早いとは思いますが、ボケ防止にもなるし。
これが手間隙かどうかは人によって分かれるでしょう。ただ掲示板の
システムとして、質問してきた方がコメントを見る保証はありません。
またこちらの意図が相手に伝わったのか、は、レスポンスが無い限り
判りません。
思うに、掲示板というシステムでコメントを付ける行為は、相手がどう思う
かを想定して行う無償の奉仕、ですね。内容が罵倒、誹謗であれ、親切な
アドバイスであれ、相手が提起した内容へのリアクションであり、それが
報われる保証はない訳ですから。相手への攻撃でストレスを発散すると
いう、あまり起こって欲しくない事例を除いて。
念の為、書きますが、掲示板でコメントをすることを誇るものではありません。
ただ、掲示板に質問をすることの意味、水面に石を投げることによって起こる
波紋の大きさをもっと考えて欲しいと願うだけです。「強制」でなくて、あくまで
「お願い」です。
質問をするな、と言っている訳ではありません。他人も巻き込んでしまうシステ
ムである以上、お互いの負担を応分に分け合うために、質問する方は事前に
過去のログ(記録)なりFAQ集を見て欲しい、それで判らなければ判らない個所
を限定して質問してくれれば、それに対してコメントをする側の労力は軽減され
ます。
元アスキーの西氏が始めた1ch.tvはこういう無償の知の提供に対し報酬を
用意して良質の情報を提供しようというものですが、悪貨が良貨を駆逐する
ように、無料の掲示板が機能する限り、そのもくろみは失敗するでしょう。
支払う代価を提供する側と受け取る側での認識の差は埋められないと思う
からです。
自分が判らないことを思いきって発言するという事自体は悪くないと
思います。ただ、掲示板システムと言う相手の善意によって成り立つ
システムに参加する以上、参加しただけの責任、義務は果たしてください。
フリーライド(ただ乗り)はシステムへの負担を増し、最終的にはシステムの
瓦解に結びつく可能性もあります。
「公」の場に「発言」するという意味をできれば、障害で焦っている時でも
ちょっとだけでも考えて発言してくれるとうれしいものです。「起承転結」と
いう言葉があります。自分が何かのストーリーを始めたのなら、そこで
起こったことに対して最終的に「閉め」の動作をしてください。質問しっ放
しは良くありません。結果が判らないまま提示された何らかの解決案は
結果が判らなければその有効性は証明された事になりません。再度同じ
質問があった時に同じ回答が行われるのか、あるいは、過去の提示案を
見てね、となるのかは判りませんが、放置されたストーリーに残るのは
エネルギーの空費です。まるっきり無駄とは言いませんが、掲示板システ
ムの資源が有限ということを考えると二度手間は「害」です。
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