ぐっちゃぐちゃ
不定期コラム Vol.23
2000/05/05
ここのところ相次ぐ少年犯罪の数々で気が重たいです。人間、大往
生で天寿をまっとうというのが理想なんでしょうが、平均年齢が急
速に高齢化する中での不慮の死もまた急速に増えつつあるのではな
かろうか、という気がします。自分が高校生の頃、大体1980年頃は
あそこまで短絡的な犯行は無かったような気がします。まぁ、人生
論や処世訓が目的のコラムでは無いので、何とかPCがらみにしなく
っちゃいけませんね。
会社でもそうだし、かつてはNIFTY、今はThinkPad等で私がやって
いる事はある意味で人助け的な側面を持っています。
会社のは給料をもらっているので、それ相当の仕事はしていると
自分では思います。また重なる休日出勤や深夜勤務とかでは給料
以上の事をしているはずです。
生きる糧を得るという事以外にも、
自己の存在のPR(別に昇進したい訳ではないが)、
女性社員にええかっこしぃ、
以前のコラムにも書いた
スキルアップのための経験値向上、
時間に追われる緊張感に酔う、
とかもあります。
でも、基本的には「人のために」というのが根本にあります。
イスラムで言うところのバクシーンだったか、喜捨、ですね。
富める者が社会に寄付・寄進するというものです。
私はお金持ちという訳ではないので、自分の他人より多く持っ
ているもの、PCに関する経験・知識でもって貢献する、という
わけです。
例えばThinkPad Clubで考えてみましょう。ここではユーザーの
間に特に強い連帯がある訳ではありません。ユーザーでない方
も自由に出入りできますし、敢えて共通点を挙げればTP(Think
Pad)に何らかの興味をお持ちの方、という事になるのでしょう。
ここでせっせとフォローする、時には波風立てるときもあるだ
ろうけど...、というのは、TPの勢力を広げようとする”あひるの
水掻き”のようなものです。コメントをつける前にあちこちWEB
サイトを検索して、といった過程は付けたコメントでは多分判ら
ないでしょう。相手をだましたくないから、また、自分のレベル向
上のためというのもあって、それなりの注意を払ってコメントを
作成するようにしています。もちろん間違った事を書く場合は、
できるだけ速やかに、かつ、素直に謝るつもりですが。
コメントを付ける行為、これは人助けなのか、あるいは、私の
ような多くは人の質問にコメントを付けるような人間は、質問
が無いと自分から発言できないので、そういう機会を作って
いただいた質問者に感謝しないといけないのか。また、コメン
トを書くことで自分はここまで知っていると自分を誇示しよう
としているのではないか、等々、書いていて複雑な気分になる
ことがあります。
自分は一部の機種の一部の使い方しか知らないので、会議室で
色々な質問、意見を見ることで、色々な情報を得ることができます。
ただ、自分も情報を出すから、あなたもできる範囲でよろしくね、
質問でも結構よ、という、ギブ・アンド・テイクというのが存在
するのかどうかは常に考えています。NIFTYの時もそうでしたが、
書いている人間もボランティアなので、という点への配慮は質問
者側にあるのかないのか、質問にすぐコメントする事で、回答が
来るのが当然と質問者を甘やかしてしまっているのではないだろ
うか、という気もいつも持っています。本人の意に沿わないよう
な辛口のコメントをした場合にレスポンスが無い、あるいは、そ
ういう辛口のコメントの発言者を外してのレスポンスでは、やっ
ぱり書くんじゃなかった、という気になる時があります。ただ、
人の件をネタに自己主張している面もあるというのを考えれば、
そういう辛口系を書けただけで良しとすべきなのかもしれません。
人助けなのか、あるいは、肴にしているだけなのか。
自問自答する日々は続きます。社内LANが工事で止まった時、
しばらくネット絶ちするいいチャンスだったのかもしれません。
大体、書きこみペースが上がると、いつもトラブルを起こしている
ので、最近のハイペースは要注意時期の予告かもしれません。
自分は自分だけでは生きられないし、相手だってきっとそう。
自分がやられて嫌なことは相手にするな。でも、相手が嫌がっても
良薬は口に苦し。モラルは守ろうね、ぐらいは書かないと"正義"が
ぐちゃぐちゃになる。自分の気持ちも。でも、自分の正義と他人の
正義は違う場合がある。他人を思いやる心は大事、でも甘やかせば
良いというものでもない。社会的に妥当と思われている程度のモラ
ルにお互いに配慮しつつ情報交換を冷静に行う、というのは書くの
は簡単ですが、実行は難し、ですね。
何をくどくど書いているか、というと、前に相手の意見に反駁する
のに、暗喩(イヤミとも言うか?)を相当ぶちこんで反撃した発言に
正論だけど見苦しい、という評があったことです。
見苦しくない反撃コメントとは。反撃なら相手にダメージを与える
ようでないと意味が無いのでは。暗喩より遠まわしがよかったのか、
ストレートに書いた方がよかったのか。年齢につれ記憶力は衰える
とは言いますが、楽しい記憶よりはダメージを受けた記憶はより長
持ちします。物事を幾つもの方向からで見る癖がある自分の中で、
より深く潜行しているのも確かです。自分が良かれと思ってやった
事が裏目に出るとダメージは倍以上にきます。善悪の基準が人に
よって違うのは判っているはずなんですけどね。心の平安を取り戻
すには、爆発させるか、スイッチして他所に逃がすか、ですね。
書けばこういう言もあるというのは前から判っているはずだし、
だのにROMに徹しきれない自分。湧いて出る奉仕の心なのか、
単なる自己顕示の強い、でしゃばりなのか。
表面的な私と、別の私、まぁ多重人格ではありませんが、
色々あるってことです。本心を隠して表面上は取り繕ってうまく
やるというのは、よっぽどスケジュールがおしていなければ軽く
こなすことはできるでしょう。ストレスを溜めきれないタイプ
なので。突発型にならないよう気をつけねばいけませんね。
昔のアニメの怪物くんではありませんが、10数えるという具合に。
なんか脱線してぐっちゃぐちゃになってしまいましたね。人に説教
するほど人格ができてないってことです。私の13番目の人格は何
かな、とか........